
ほとんどの人には、ものの善し悪しを判断する勘というものが備わっています。
トレンドや流行が過ぎ去った後も、こうした勘は、いつまでも持ち続けていられます。
バターも卵もチョコレートもコーヒーも、ほとんど血祭りに上げられた状態でしたが、今では、バターに含まれるビタミンが高い評価を受けるようになり、卵はもう、コレステロールの爆弾に例えられることもなくなりました。
コーヒーも抗酸化作用があるといわれ、チョコレートは、がんとの闘いの貴重な同士のひとつに加えられています。
ヘルシーダイエットは、何かを犠牲にしなければならない、ということになっていました。
スマートでしなやかな体つきになりたいと、思えば、好きなものは一切口にしないで、選んだものだけをひたすら食べる。
たいていは味気ない、食欲も湧かないものばかりです。
こんなことをして、何になるでしょう。
絶えず食べものに、戦々恐々していなければならないとしたら、食を楽しめることもなく、いくら口当たりがよくても、これでは体にいいはずがありません。
食べ物さえきちんと摂っていれば、スムーズに動く、ただのマシーンではありません。
五感を働かせながら生きています。
体を健康に保つには、人生を楽しみ、前向きな人生観を持つことが、重要ということは医学的にも知られ、人間の人となりは、食そのもの。
自分の人生をルールや禁止事項で埋め尽くすようなことはやらないようにしましょう。
わたしたちは、誰もが脂肪を摂り過ぎている。
食べ始めたと、思ったら、あっという間に料理を平らげてしまうし、食事内容もバランスが摂れていない。
しかし、わたしたちは、体を痛めつけようと、思ってわざとそうしているわけではありません。
それは、もう、自然な形で、食べ物と向き合えなくなってしまいました。
物を食べるという行為が、お腹が空いたから、食べるという反射作用では、なくなってしまいました。
食べることは、現代人の生活の中にあまりにも大きな比重を、占めるようになり、食べることは今や、心の問題であって、胃の問題ではなくなってしまいました。
体重に悩む人がこれほどまでに多く、また、摂食障害を抱える人の数もますます増えていることに、驚かされます。
食べることはあるまま、目の仇のような存在と化しています。
パン、バター、卵、肉、コーヒー、牛乳、脂肪。
こうした食品を食べると体を損なうことになる、害になるだけだと、わたしは耳にタコができるほど聞かされています。
食とは愛であり、喜びであり、熱情であるべき、だから、禁を解いて何でもかんでも食べてよいとはいいません。
もっともっと野菜やフルーツをたくさん摂って、人工的にこしらえた脂肪はなるべく、口にしないように気をつけなくてはいけません。
食べ物に、ヘルシーも、ヘルシーでないもありません。
ただ、摂り過ぎているか、極端に不足しているか、というだけのことに過ぎません。
食を楽しむ秘訣は、変化を持たせることです。
バランスの摂れた食事さえしていれば、スリムになるための減量プランも、コレステロール表も、脂肪計測器も必要なし、変化に富んだ食事とは、わたしたちの体に必要な栄養素を満遍なく摂ること。
食べたいと思うなら(適量)何を食べてもいいことです。
食事を時々は舌だけでなく、五感を利用する。
日本料理店では、皿などに彩りの野菜のつまとともに、盛りつけられています。
食とは、味蕾やお腹を満足させるためだけにあるのではありません。
体全体が心地よくなるものでなければいけません。